天の岩宿戸(前編)


●読み下し文

 故(かれ)ここに天照大御神見畏(みかしこ)みて、天の石屋 戸を開きてさし籠(こも)りましき。ここに高天の原皆暗く、葦原中国(あしはらのなかつくに)悉(ことごとく)に闇(くら)し、これによりて常夜(とこよ)往(ゆ)きき、ここに萬(よろず)の神の聲(こえ)は、さ蝿(はえ)なす満ち、萬の妖(わざわい)悉に發(おこ)りき。

 ここをもちて八百万の神、天の安の河原に神集(かむつど)ひ集(つど)ひて、高御産巣日神(たかみむすひのかみ)の子、思金神(おもひかねのかみ)に思はしめて、常世(とこよ)の長鳴鳥(ながなきどり)を集めて鳴かしめて、天の安の河の河上の天の堅石(かたしは)を取り、天の金山の鐵(まがね)を取りて、鍛人(かねぢ)天津麻羅(あまつまら)を求(ま)ぎて、 伊斯許理度賣命(いしこりどめのみこと)に科(おほ)せて鏡を作らしめ、玉祖命(たものやのみこと)に科せて、八尺(やさか)の勾璁(まがたま)の五百箇(いほつ)の御統(みすまる)の珠を作らしめて、天児屋命(あめのこやねの)、布刀玉命(ふとだまのみこと)を召して、天の香山の眞男鹿(まおしか)の肩を内抜(うつぬ)きに抜きて、天の香山の天の朱櫻(ははか)を取りて、占合ひまかなはしめて、天の香山の五百箇眞賢木(まささき)を根こじにこじて、上枝(ほつえ)に八尺(やさか)の勾璁(まがたま)の五百箇の御統(みすまる)の玉を取り著(つ)け、中枝(なかつえ)に八尺鏡(やたかがみ)を取り繋け、下枝(しづえ)に白和幣(しらにぎて)、青和幣(あおにぎて)を取り垂(し)でて、この種々(くさくさ)の物は、布刀玉命(ふとだまのみこと)、太御幣(ふとみてぐら)と取り持ちて、天児屋命(あめのこやねのみこと)、太詔戸言(ふとのりとごと)祷(ほ)ぎ白(もお)して、天手力男神(あめのたじからうをのみこと)、戸の掖(わき)に隠り立 ちて、天宇受賣命(あめのうずめのみこと)、天の香山の天の日影を手次(たすき)に繋(か)けて、天の真拆(まさき)を鬘(かづら)として、天の香山の小竹葉(ささば)を手草(たぐさ)に結ひて、天の石屋戸に槽伏(うけふ)せて踏み轟(とどろ)こし、神懸(かむがか)りして、胸乳(むなち)をかき出で裳緒(もひも)を陰(ほと)に押し垂れき。ここに高天の原動(とよ)みて、八百万の神共に咲(わら)ひき。

 

●現代文

須佐之男命の乱暴がますます激しくなり、天照大御神は恐れおののき、天の石屋戸にお隠れになられました。そのため高天原や下界が暗闇の様になり、神々の騒ぐ声は、夏の蝿の様にいっぱいになり、あらゆる禍が一斉に起こりました。

 これに困った神々は天の安河の河原にお集まりになり高御産巣日神の子、思金神(知恵の神様)に考えさせました。思金神はまず、常世の長鳴鳥(鶏)を集めて鳴かせました。次に鍛冶師の天津麻羅という人を探し、伊斯許理度賣命に鏡を作らせ、玉祖命に沢山の勾

玉を作らせました。次に天児屋命(中臣〈藤原〉氏の祖先)、布刀玉命(忌部氏の祖先)を呼んで、天の香山の雄鹿の肩骨を朱櫻の皮で焼いて占わせました。天の香山の賢木を根元から掘り起こし、上の枝に多くの勾玉、中の枝に鏡をかけ、下の枝に白と青の布を垂ら

して、これを布刀玉命が神聖な供え物として捧げ持ち、天児屋命が祝福の祝詞を奏上しました。そして、天手力男神が天の石屋戸の入口の横に隠れ、天宇受賣命が天の香山の日陰の鬘をたすきにかけ、眞拆の葛を頭に飾り、笹の葉を手にもって、天の石屋戸の前に桶をふせ、これを踏み鳴らし、乳房や陰部をあらわにして踊りました。それを見ていた神々が一斉に笑いました。