須佐之男命の昇天


●読み下し文

故、ここに須佐之男命(すさのおのみことかれ())言ひしく「然らば天照大御神(あまてらすおほみのかみ)に請(まを)して罷(まか)らむ」といひて、 すなわち天に参上(まいのぼ)る時、山川悉(ことごと)に動(とよ)み、 國土皆震(くにつちみなゆ)りき。ここに天照大御神聞き驚きて詔(の)りたまひしく「我(あ)が汝弟(なせ)の命(みこと)の上(のぼり)り来る由(ゆえ)は、必ず善き心ならじ。我が國を奪(うば)はむと欲(おも)ふにこそあれ」とのりたま ひて、すなわち御髪(みかみ)を解(と)きて、御角髪(みみづら)に纏(ま)きて、すなわち左右の御角髪にも、また御髪にも、また左右の御手にも各八尺(おのおのやさか)の勾璁(まがたま)の五百箇(いほつ)の御統(みすまる)の珠を纏き持ちて、 背(そびら)には千入(ちのり)の靫(ゆぎ)を負(お)ひ、ひらには五百入の靫を附け、また稜威(いつ)の高鞆(たかとも)を取り佩(お)ばして、弓腹(ゆはら)振り立てて、堅庭(かたには)は向股(むかもも)に踏みなづみ、沫雪如(あわゆきな)す蹶散(くえはらら)かして、稜威(いつ)の男建踏(をたけびふ)み建(たけ)びて待ぢ問ひたまひしく「何故(なに)、上り来つる」ととひたまひき。ここに須佐之男命、答へ白(まを)ししく「僕(あ)は邪(きたな)き心無し。ただ大御神(おほみかみ)の命(みこと)もぢて、僕が哭(な)きいさぢる事を問ひたまへり。故(かれ)、白(まを)しつらく『僕(あ)は妣(はは)の國に往(ゆ)かむと欲(おも)ひて哭くなり』とまをしつ。ここに大御神詔りたまひしく『汝(いまし)はこの國に在るべからず』 とのりたまひて、神遂(かむや)らひ遂らひたまへり。故(かれ)、罷(まか)り往かむ状(さま)を請(まを)さむと以為(おも)ひてこそ参上(まいのぼ)りつれ。異心(ことごごろ)無し」とまをしき。 ここに天照大御神詔りたまひしく「然らば汝(おまし)の心の清く明(あか)きは何して知らむ」とのりたまひき。ここに須佐之男命答へ白(まを)ししく「各誓(おのおのうけ)ひて子生まむ」とまをしき。

 

●現代文

 須佐之男命が「それでは天照大御神にお話をしてから母の国に行きます」といわれて、高天原に上って行かれるとき、山や川は鳴り響き、國土のすべてはことごとく震えました。

 天照大御神はその音お聞き驚き「弟の須佐之男命が昇ってくるのは、きっと私の國である高天原を奪おうと思っているのに違いない」と言われました。 天照大御神は御髪を解いて角髪に束ね、左右の御髪も角髪にし、左右の御手に大きな勾玉を数多く巻き、 背中には千本もの矢が入る靫を背負い、脇腹にも五百本もの矢が入る靫つけ、肘には威勢のよい高鳴りのする鞆を着けて、戦う準備をされました。

 天照大御神は弓を威勢よく引き、足は堅い地面に股まで入り込むほど力強く踏み込み、そして、柔らかな雪を蹴散らすかのような勇ましい声で、「どうゆうわけで、この高天原に上って来たのか」と問いただされました。

 これに対して須佐之男命は「私には汚い心などありません。ただ伊邪那岐大御神が、私になぜ泣きわ めいているのかとお尋ねになったので『私は亡き母のいる国に行きたいと思って泣いているのです』と申し上げたところ、伊邪那岐大御神は『それならお 前はこの国に住んではならないと』と言われ、私を追放されたのです。それで、そのことをお伝えするために参上いたしました。邪心などございません」と申し上げたのです。

 そこで天照大御神は「それならば、あなたの心が清らかで、汚い心などないことを、どの様にして知ることができますか」と問われました。それに答えて須佐之男命は「それでは誓約 ※ をして子供を産み ましょう」申されました。

 

※誓約とは、古代日本で行われた占いの一つ。ある事柄の吉凶,真偽,成否 につき祈誓して神意をうかがうこと