暦学入門


二十四節気

●古代中国は皇帝が代わるたびに新暦を施行

 皇帝は「天意を知る者」と同意語で、暦は天に代って人々に与える新秩序だと古代中国では考えられていました。

 古代中国では、月の満ち欠けをもとにした太陰暦を使用していたため、ひと月は 29.5 日で、 一年は354日にしかならず、一太陽年よりも11日も短く、年によっては、暦上の月日と、実際の季節が一ヶ月も前後にずれることもありました。そのため、代々の皇帝たちの最大の為政であった人民に気候の推移を正しく知らせるということができず、農耕に大変不便をきたしていたのです。

 そこで、考え出されたのが一太陽年を二十四等分割した二十四節気でした。

 

●二十四節気 

 二十四節気の各節気がいつかを定めるには、大きく分けて二つの方法があります。

 

① 平気法 

 一つは一太陽年の長さを二十四等分する方法で平気法(あるいは常気法又は恒気法)という。 一太陽年を365.2422日とすれば、 365.2422/24=15.2184日で等間隔に定めることとなります。この方法は簡便ですが、地球の公転スピードか 一定でないために太陽の実際の位置と暦とのあいだに誤差がでてきます。

 

② 定気法

 太陽の位置と暦とのあいだに生じる誤差を解消するために考えられたのが定気法(あるいは実気法)です。

 定気法では地球の公転軌道上の位置を角度で二十四等分します。 一周360度ですから、二十四節気の間隔15度(360÷24)です。普通、角度(黄道)は春分点0度として測りますから、夏至は90 度、秋分は180 度、冬至は270 度となります。

 太陽の実際の位置と暦とのあいだの誤差はなくなりますが、その反面、各節気間の時間間隔は、地球の公転スピードによって時間格差が生じます。速ければ 15.2184日よりも短く、遅ければ長くかかります。

 

 

 古代中国では、太陰暦に二十四節気を取入れ、暦面に二十四の節目を注記することで、太陰暦から太陰太陽暦へと移行し、気候の推移を太陽の推移で示すことができるようになりました。これにより毎年同じ季節に同じ節気が暦面に記載されるようになり、農作業なども大変便利になったのです。

 

●節と中 

二十四節気
二十四節気

 二十四節気は、黄河中・下流域の季節推移をもとにつくられましたので、日本に置き換えると多少ズレが感じられます。しかし、南北に長い日本におい ても、およそ半月ごとの季節の変化を示すものとしては、非常に便利なもので日本の風土にも根付いたのです。

二十四節気は、歳時記の季語の春夏秋冬・新年といった季節を決める際の基準にもなっています。

 

 二十四節気中、立春、啓蟄、清明などの第一段、 第三段、第五段に属するものを「(せつ)」と いう。

第二段、第四段、第六段に属するものを「(ちゅう)」といいます。そして、二分、二至、四立を一年のうちの重要な八つの季節の変わり目 として「八節」といいます。

・二分:春分、秋分 

・二至:夏至、冬至 

・四立:立春、立夏、立秋、立冬 

 

 「節」は「節気」とも言われ季節を表わし、「中」は「中気」とも言われ月名(月序) を決めます。また各時節における気象や自然の有様を表現した名称がつけられているようです。

 

 第一段の節は気候の始まりに配置され、春は立春より、夏は立夏、秋は立秋、冬は立冬より始まります。そして、立春が過ぎると、いくら寒くても余寒といい、立秋を過ぎると、いくら暑くても残暑といいます。春分、秋分はそれぞれ春、秋の真中にあり、春と秋を二つに分けるところから名づけられたのでしょう。実際の気候からいえば、立春の頃が最も寒く。それを「春立つ」とするのは、これ以上は寒くならない、これからは暖かくなるだけという考えに立脚しているのです。つまり、「寒さ極まって春の気きざす」という古代中国思想に基づいたものです。