●読み下し文
水に潤下(じゅんか)と曰ふ。潤下とは、水の湿(うるえる)に流れ、汙(くぼめる)に就きて下れるなり。北方は至陰(しいん)、宗廟・祭祀の象なり。冬は、陽の始まるところ、陰の終わるところ。終始は、綱紀(こうき)の時なり。死する者は魂気(こんき)は、天に上りて神となり、魄気(はくき)は、下降して鬼(き)となる。精気散じ、外に在りて反(かえ)らず。故にこれが宗廟を為(つく)り、以って散ずるを収(おさ)むるなり。易に曰く、渙(かん)は亨(とお)る。王有廟(ゆうびょう)に仮ると。これこれの謂なり。それ聖人の徳は、また何を以って孝に加ふるか。故に天子親(みづから)ら耕し、以って粢盛(しせい)を供し、王后親ら蚕し、以って祭服を供す。敬の至りなり。敬の至れば、則ち鬼神これに報(むく)ゆるに、介福(かいふく)を以ってす。これ水気に順(したがう)ふなり。水気順なれば、則ちその性のごとし。その性のごとくなれば、則ち源泉通流し、以って民の用に利す。若し人君、祭祀を廃(す)て、鬼神を漫(あなど)り、天時に逆らえば、則ち水その性を失ひ、水暴(にわか)に出て、漂溢没溺(ひょういつぼつでき)し、城邑(じょうゆう)を壊し、人の害をなす。故に水に潤下せずと曰う。
汙:曲がったところにたまった水を意味し、それが澄んでいないこと。よご-す、よご-れる、けが-す、けが-れる、けが-らわしい、きたな-い。
綱紀:大づなとこづな。国家を治めるおおもと。また、物事のおおもと。おきて。
魂気:精神をつかさどる陽の気。
魄気:肉体をつかさどるという陰の霊気。
精気:万物を生成するもとになるもの。万物の根源の気。
粢盛:きびを神に供えるために器にもったもの。
介福:大いなる幸福。 漫り:秩序を無視するさま。自分勝手であるさま。
漂溢:ただよいあふれる。
没溺:水中に落ちておぼれること。
城邑:城壁にかこまれた町。
●現代文
洪範に「水に潤下と曰う」とある。潤下とは、水は湿た方に流れ、窪みに従って下っていくことである。北方は至陰であり、宗廟や祭祀の象である。冬は陽の始まるところ、陰の終わるところであり、終わってまた始まることは、物事のしめくくりの時である。
死んだ者の魂気は、天に上って神となり、魄気は、下降して鬼となる。天地万物の根源となる気は、散じて外にあって、帰ってこない。そこで宗廟を作って、散じた元気を収めるのである。易の渙(かん)の卦は「渙は亨る。王が廟に至る。」とある。
この渙の卦は、下が水の卦で、上が風の卦で、風が水の上を吹き渡ると、表面の水は、小波となって一斉に散る。そこで渙と名づけた。この卦は、九二(下から二番目)が剛で、「中」を得、六三(下から三番目の)が六四(四番目)と心を合わせるというよい徳であるから、亨ると言った。
王が廟に至るのは、祖先の霊魂が渙散しているのを、廟で祭ることによって再び結聚しようというのであろう。さて聖人の徳は、また何をもって孝に加えるのか。そこで天子は、自ら耕して、器に盛った穀物を神に供え、王后は、自ら蚕を養って、祭服を神に供える。これは神に対する尊敬の極至である。このように尊敬を極めれば、神鬼はこれに報いるに大いなる福をもってする。これは水気にしたがうことである。
水気が順であれば、その性のようになる。その性のようになれば、その源泉が通じ流れて、民の役に立つようになる。
もし人君が、祭祀をやめ、鬼神をあなどり、天の時に逆らったならば、水はその性を失い、水が急に出て、ただよいあふれ、沈みおぼれて、町を壊し、人に害を与える。そこで水に潤下せずと言うのである。
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