須佐之男命の涕泣


●読み下し文

 故(かれ)、各依(おのおのよ)さしたまひし命(みこと)の隨(まにま)に、知らしめす中に、須佐之男命(すさのおのみこと)、命()させし國を治らさずて、八拳須心(やつかひげむね)の前(さき)に至るまで、 啼(な)きいさちき。その泣く状(さま)は、青山は枯山(からやま)の如く泣き枯らし、河海(かはうみ)は悉(ことごと)に泣き乾(ほ)しき。ここをもちて悪(あ)しき神の音(こえ)は、さ蝿如(はへな)す皆満ち、萬(よろず)の物の妖悉(わざはいことごと)に發(おこ)りき。故、伊邪那岐大御神(いざなぎのおほみかみ)、須佐之男命に詔りたまひしく、「何由(なにし)かも汝(いまし)は事依(ことよ)させし國を治(し)らさずて、哭きいさちる」とのりたまひき。 ここに答へ白(まを)ししく、「僕(あ)は妣(ははの國根の堅州國(かたすくに)に罷(まか)らむと欲(おも)ふ。故、哭くなり」とまをしき。ここに伊邪那岐大御神、大(いた)く忿怒(いか)りて詔りたまひしく、「然らば汝(いまし)はこの國に住むべからず」とのりたまひて、すなわち神逐(かむや)らひに逐らひたまひき。故、その伊邪那岐大御神は、淡海(あふみ)の多賀(たが)に坐(ますなり。

●現代文

 天照大御神と月読命は伊邪那岐大御神よりご委任されたお言葉のままに各々の国を治められましたが、須佐之男命だけはご委任された国(海原)を治めずに、あご髭が胸元にとどくようになるまで長い間、激しく泣いていました。その有様は、青々とし た山が枯れ木の山のようになるまで泣き枯らし、川や海の水は泣き乾されてしまったのです。そのため 禍をおこす悪神の騒ぐ声は、蝿がさわぐようにいっぱいになり、あらゆる禍が一斉に起こりました。

 そこで伊邪那岐大御神が須佐之男命に「どうして おまえは私の委任した国を治めないで、泣き喚いているのだ」と尋ねられました。それにたいして須佐之男命は「私は亡き母のいる黄泉の国に行きたいと思い泣いています」と申しました。それを聞いた伊邪那岐大御神はたいへんお怒りになって「それならば、おまえはこの国に住んではならない」と言われ、 ただちに須佐之男命を追放されたのであります。この後、伊邪那岐大御神は、神の仕事をおえられて、近江(滋賀県)の多賀大社にご鎮座されました。

 多賀大社は伊邪那岐大御神がご祭神であることか ら「お伊勢へ参らばお多賀へ参れ、お伊勢はお多賀 の子でござる」と歌われ、中世、近世では、伊勢、 熊野と並んで参拝者が非常に多かったそうです。

涕泣(ていきゅう)の意味

 「その泣く状は、青山は枯山の如く泣き枯らし、 河海は悉に泣き乾しき。ここをもちて悪しき神の音は、さ蝿如す皆満ち、萬の物の妖悉に發りき。」と あるのは、須佐之男命の御心の状態を象徴的に語っています。

 この宇宙空間にあるものは本来、天之御中主神や天つ神の「いのちの力」によって生かされていることに感謝しながら生活することが根本でありますが、須佐之男命のように「天つ神の命」に服さず私欲私心の異心のままに、天地の理法に逆行すれば青山は枯山になり、川と海からは水がなくなるのは当然であります。

 また、須佐之男命はご委任された命令に従わず、「黄泉の国に行きたいと思う」と言ったことは、まさに須佐之男命の異心に覆われた御心の状態を語っていることがわかります。

 伊邪那岐命より統治をご委任されたこの国は、天つ神から賜った生命力に満ちあふれた清らかな心で治めていかなければならない貴い国でありますが、 その本旨がわからず須佐之男命のように我欲によって清らかな心を晦ますならば、その国は死の国とな ってしまうのです。