誓約と須佐之男命の勝ちさび


●読み下し文

 ここに速須佐之男命(はやすさのをのみこと)は天照大御神(あまてらすおほみかみ)に白(もお)ししく「我(あ)が心清く明(あか)し。故(かれ)、我(あ)が生め る子は手弱女(たわやめ)を得つ。これによりて言(まお)さば、自(おのづか)ら我勝ちぬ」と云して、勝さびに、 天照大御神の營田(つくだ)の畔(あ)を離(はな)ち、その溝(みぞ)を埋め、またその大嘗(おおにえ)を聞こしめす殿に屎(くそ)まり散らしき。汝(かれ)、然為(しかす)れども天照大御神は咎(とが)めずて告(の)りたまひしく、「屎如(な)すは、 酔いて吐き散らすとこそ、我が汝弟(なせ)の命、 かく為(し)つらめ」と詔(の)り直したまへども、 なほその悪しき態止(わざや)まずて轉(うたて)ありき。天照大御神、忌服屋(いみはたや)に坐(ま)して、神御衣織(かむみそお)らしめたまひし時、その服屋(はたや)の頂(むね)を穿(うが)ち、 天の斑馬(ふちこま)を逆剥(さかは)ぎに剥ぎて堕し入るる時 に、天の機織女(はたおりひめ)見驚きて、梭(ひ)に陰上(ほと)を衝きて死にき。

 

●現代文

 須佐之男命は、天照大御神に「私の心が清らかだから生まれてきた子は皆やさしい女の子だった。私の勝ちだ」と云いました。ところが須佐之男命は、天照大御神の營田の畔を壊したり、田に水を引く溝を埋めたり、また新嘗祭が行われる御殿に屎をまき散らしたりと、乱暴を働き始めたのです。

 しかし、天照大御神は須佐之男命の悪行を少しもお咎めにはならず「屎のように見えるのは、酒に酔ってつい吐いたのでしょう。」と良い方に考えられました。須佐之男命の乱暴なふるまいはやむことなく、ますますエスカレートしました。

 天照大御神が神様に献る御衣を機織女に織らせていた時、須佐之男命がその機屋の屋根を壊し、逆さに剥ぎ取った馬の皮を壊した屋根の穴から投げ入れ、これを見て驚いた機織女が梭で陰部を突いて死んでしまいました。

須佐之男命の傲りについて

 本居宣長は古事記伝で「須佐之男命は傲りによって悪心が起こった」と説いております。どれほど清らかな心を持っていても、瞬時でも油断し、慎みを忘れ、感謝する心を忘れるとたちまち異心(傲慢)が現れ、本来の清い心を占領し悪行となって現れるのです。それ故に、たとえ心が明鏡のように澄んだ状態であったとしても、常に用心し、自らの心の汚れを祓い続けなければならないのです。だからこそ神道は祓いにはじまり、祓いに終わると云われているのです。