八岐の大蛇退治(弐)


●読み下し文

 故(かれ)、告(の)りたまひし隨(まにま)に、かく設け備へて待ちし時、その八岐大蛇(やまたのをろち)、信(まこと)に言ひしが如来(ごとき)つ。すなわち船毎(ふねごと)に己(おの)が頭(かしら)を垂(た入れて、その酒を飲みき。ここに飲み酔ひて留まり伏し寝き。ここに速須佐之男命(はやすさのをのみこと)、その御佩(はか)せる十拳剣(とつかのつるぎ)を抜きて、その蛇(をろち)を切り散りたまひしかば、肥河(ひのかは)血に變(な)りて流れき。

 

 故(かれ)、その中の尾を切りたまひし時、御刀(みはかし)の刃毀(はか)けき。ここに怪しと思ほして、御刀(みはかし)の前(さき)もちて刺し割(さきて見たまへば、都牟刈(つもがり)の大刀(たち)ありき。故(かれ)、この大刀(たち)を取りて、異(あや)しき物と思ほして、天照大御神(あまてらすおほみかみ)に白(まを)し上げたまひき。こは草薙(くさなぎ)の大刀(たち)なり。

 

●現代文

 準備を整えて待ち受けていると、八岐の大蛇が言われた通り現れました。大蛇は酒桶毎に頭を入れて酒を飲み始めました。そして酒に酔って、その場に寝てしまいました。眠ったのを確認した須佐之男命は、十拳剣を抜いて、大蛇を切りきざみました。肥河は血の河となって流れました。

 そして大蛇の尾を切った時、十拳剣の刃が少し欠けました。これは怪しいと思われ、その尾を切り裂いて見ると素晴らしい太刀がでてきました。須佐之男命はその太刀を天照大御神に献上されました。これが草薙の剣です。

 草薙の剣は、天孫降臨(てんそんこうりん)の際に、三種の神器として天照大御神から邇邇芸命(ににぎのみこと)に授けられたものの一つです。現在、本物は熱田神宮に奉納され、写しが宮中に祀られています。

 

●八岐の大蛇の説

 八岐の大蛇の解釈には様々な説があるようです。

 第一に、盗賊説。「高志(こし)の八岐の大蛇」とある事から越(北陸)の地方からきた八箇軍団の盗賊連合軍であるというもの。

 第二に斐伊川の氾濫を形容した「洪水説」。斐伊川は宍道湖に注ぐ河口が幾つにも分かれている事、また多くの支流に分かれていることや毎年大洪水を起こし稲田を押し流してしまうというもの。

 第三に八岐の大蛇は本来は水田農業に重要な関係をもつ水の精霊であって、水神として祭られていた説です。

 

●八岐の大蛇は何を意味するのか

 「日本書記」の一書に「須佐之男命は苦労に苦労を重ねながら、お降りになった」とあるそうです。先生は本当のことは苦労を自ら体験した者だけにしかわからないのではないでしょうか。それ故に、苦労は苦しみではなく修行であり、本当はとてもありがたいことなのです。と言われておられます。

 須佐之男命の御心は、本来の清明な御心と我欲の汚れた異心との間を行ったり来たり揺れ動いていて、ついに高天原での悪行によって、高天原から追放されました。そして苦労しながら出雲の国の肥河(ひかわ)に降りてこられたのです。その降りてこられたところで、八岐大蛇で困っている足名椎(あしなづち)、手名椎(てなづち)、櫛名田比賣(くしなだひめ)に出会い、そのことを自らの問題として考えたのでしょう。そして、眼前の悪である八岐の大蛇を退治すると同時に、須佐之男命の御心に映っている八岐の大蛇という異心をずたずたに斬って祓い浄められたのです。

 須佐之男命はここにおいてついに自らの異心をすっかり祓い改め、天下の悪の象徴である八岐の大蛇を完全に亡ぼし、その御心は天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、天つ神と一つになったと言えます。

 その象徴が八岐の大蛇から出てきた草薙の剣なのです。