●読み下し文
また食物(をしもの)を大氣津比賣神(おおげつひめのかみ)に乞(こ)ひき。ここに大氣津比賣、鼻口また尻より、種々(くさぐさ)の味物(ためつもの)を取り出して、種々の作り具(そな)へて進(たてまつ)る時に、速須佐之男命(はやすさのをのみこと)、その態(しわざ)を立ち伺(うかが)ひて、穢汚(けが)して奉進(たてまつ)るとおもひて、すなはちその大宜津比賣神(おおげつひめのかみ)を殺しき。故(かれ)、殺さえし神の身に生れる物は、頭(かしら)に蠶生(かひこな)り、二つの目に稲種生(いなだねな)り、二つの耳に粟生(あわな)り、鼻に小豆生(あずきな)り、陰(ほと)に麦生(むぎな)り、尻に大豆生(まめな)りき。故(かれ)ここに神産巣日(かみむすひ)の御祖命(みおやのみこと)、これを取らしめて、種(たね)と成しき。
●現代文
五穀の起源は遊離神話と云われているヶ所で、前後のお話とつながっていいません。
須佐之男命は大氣津比賣神に食事を求めました。そこで大氣津比賣神は自分の鼻や口、尻から様々な食べ物を取り出して須佐之男命に振る舞いました。
それを覗きみした須佐之男命は、汚いものを食べさせると怒り、大氣津比賣神を切り殺してしまいました。
その時、殺された氣津比賣神の身体からいろんな穀物が生まれました。頭から蚕が、二つの目には稲の種が、二つの耳からは粟が、鼻からは小豆、陰部から麦、そしてお尻から豆が生まれました。それで神産巣日の御祖命がこれをお取りになって五穀の種としました。
五穀の起源の意義
古代の日本人は「嘔吐物」も「糞」、「尿」も決して汚らわしいものとしてではなく、神々として、申請のものとしてみる素直な心を持っていました。神羅万象、この宇宙に存在しているもの全てが、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ )、天つ神の御心によりて成らざるものは一つもないのですが、それを汚らわしいと感じるのは、その人の心が汚れていて清らかでないからであり、眼前の姿、形、動きなどに惑わされているからです。
五穀の起源のお話も「火神被殺(ひのかみひさつ)」段との同じで、須佐之男命(すさのをのみこと)が大氣津比賣神(おおげつひめのかみ)を切り殺したのではなく自らの汚らわしいと思う異心を斬って祓ったのです。その結果、神聖な食べ物として、蚕(かいこ)、稲種(いなだね)、粟(あわ)、小豆(あずき)、麦(むぎ)、大豆(まめ)が生まれたのです。
五穀は須佐之男命の御心の祓えによって誕生したことをこの古伝承は伝えています。
なお、 「日本書記」の一書には、月夜見尊(つくよみのみこと)が保食神(うけもちのかみ/食べ物の神)のしわざを汚らわしいと怒り、剣を抜いて、この神を殺したとあります。そして、保食神の屍体の頭に牛馬、額に粟、眉に蚕、目に稗、腹に稲、陰部(ほと)に麦と大豆と小豆が化生(けしょう)したと伝えられています。
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